万延防止法の措置にともない、


    しばらくの間、休館致します。

四六判 / 368ページ / 上製 / 価格3,520円 (消費税 320円) 
ISBN978-4-588-21861-3 C0320


      パチンコ誕生博物館へようこそ!!   












『パチンコ』(法政大学出版局「ものと人間の文化史」シリーズ) 6月21日に刊行



〈パチンコ誕生博物館館長よりお知らせ〉

 13年前、私は『パチンコ誕生 シネマの世紀の大衆娯楽』(創元社、2008年)を刊行し、パチンコのルーツを明かした。だが、パチンコの正しい歴史が認識されず、パチンコ業界では相変わらず旧態依然の歴史を報道し続けている。

 『パチンコ誕生』出版後も、新発見の、パチンコ台から初めて玉が出た、藤井正一の「スチールボール野球パチンコ」や、新たな資料も発見していた。

 私はパチンコの歴史を埋もれさせないために2020年6月28日、私設博物館を開館させた。開館とほぼ同時に法政大学出版局から、『パチンコ』を「ものと人間の文化史」に加えたいとのオファーがあった。この上ない話に驚喜した。

 執筆中に、ミン・ジン・リーの『PACHINKO』の日本語訳が出版された。この本は大いに私を啓発した。私は自著『パチンコ』がこの本の副読本になることを夢みた。

 かくして、手打ち式パチンコの通史を綴ることができ、近刊の運びとなった。

 その刹那、日本で最初のパチンコ機メーカー、オーエヌ商会(業界ではOM商会といわれつづけ、それは今だに訂正されていない)の昭和7年の新聞広告を発見した。すべり込みセーフで、これも本に載せることができた。

 パチンコは戦後、正村竹一が考案した「正村ゲージ」によって大発展を遂げたと語り継がれてきた。その正村ゲージは、実は正村が考案したものではないのである。現在流布されているパチンコの歴史のうそを暴き、正しい歴史を後世に残したいという思いで、この書を綴った。

 ぜひ、大勢の方々にお読みいただきたい。

 そして、多くの反論を心待ちにしている。ぜひ当館においでいただき、実物を見ながら、反論をお聞かせ願いたい。


 《目次》

相関図(バガテールの発展)

はじめに

第1章 パチンコの神様「正村ゲージ」
銭湯とパチンコ/長崎一男の「オール物」/昭和二七年一〇月封切『生きる』『お茶漬けの味』『稲妻』/「正村ゲージ」のパチンコ台/昭和三〇年、連発式と「オール20」禁止/禁止となった四風車九穴の「オール10連発式」/昭和三五年の日工組結成と、三店方式による換金/映画『豚と軍艦』の平楽会館内部

第2章 ねつ造正村ゲージ伝説
『ザ・パチンコ?パチンコ台図鑑』/武内国栄日工組理事長、「正村は正村ゲージで特許をとらなかった」と語る/日遊協広報誌連載「パチンコ史」/鈴木笑子氏、平成二九年発行の『パチンコ歴史事典』に登場/「パチンコ誕生博物館」オープン

第3章 「バガテール」の伝来
パチンコの元といわれる「コリントゲーム」と「ウォールマシン」/文久三年、「バガテール」で遊ぶリンカーン/大正一〇年、広津和郎、「玉ころがし」で遊ぶ/江戸後期、バガテール伝来/明治一二年、玉ころがし流行/「ピンバガテール」がコインマシン化され、アメリカで「ピンボール」となる/「ピンボール」の誕生/明治三五年、アメリカの新型バガテール/パチンコは玉ころがしやコリントゲームが立ったものではない

第4章 「ウォールマシン」の誕生
フランスの「パサージュ」とイギリスの「アーケード」/ペニー・アーケード/ロンドンで、ピンバガテール発見/明治三二年(一八九九)、バガテールが立ち、ウォールマシンが誕生した

第5章 「一銭パチンコ」の誕生
パチンコの釘の源流「ドロップ・マシン」/ウォールマシンの画期的な仕掛け「ピッククィック」/大正末、遠藤美章商会がパチンコの元「球遊機(日本製ウォールマシン)」を製造/「宝塚新温泉パラダイス」と遠藤嘉一/ピッククィック付き球遊機/『日本娯楽機製作所カタログ』に見る球遊機の値段と千代田組/パチンコの「小物」の名称由来/昭和の初め、一銭パチンコ誕生/現存最古の一銭パチンコ/パチンコは、香具師営業を前提とした日本人の発明である/昭和七年、大阪で一銭パチンコ禁止

第6章 「パチンコタイプ菓子販売機」の誕生
昭和六年、浅草「松屋スポーツランド」オープン/現存最古の東洋自動娯樂器商會「パチンコタイプ菓子販売機」

第7章 昭和八年、大流行の「コリントゲーム」
昭和八年九月、岡本一平が記録した「コリント競技大会」/コリントゲームの元「コリンシアンバガテール」の日本上陸は昭和七年で、パチンコ流行後である/コリンシアンバガテールの元、フィンランドの「フォルトゥナ」

第8章 鈴富商会の創業と全国展開
昭和一〇年前後の、鈴富商会の社用便箋と封筒/岡兵三の特許を鈴富が買っていた/鈴富商会社長、上野鈴吉が語る「パチンコ盛衰記」/昭和初期、鈴富商会三人衆が北海道に渡る/昭和八年、福岡でコリントゲーム営業とパチンコ禁止/芝区中門前町、富美の店の「ブン回し」/ブン回し「二見浦号遊戯器」/鈴富番頭、梯正雄の証言/コリントゲームを立てた「時計パチンコ」/鈴富商会の海外遠征/昭和五年の台湾の遊廓

第9章 昭和六年、大阪に次ぎ金沢でパチンコ機生産が始まる
金沢でのツバメ商会の起業/金沢の中川兄弟商会の起業/金沢駅前、才田銘木店才田商会の起業/昭和九年、石川県のパチンコ禁止/「大衆を吸ひつける 巷の昂奮……パチンコ」/児玉満造の、盤面にセル板が張られた「玉突遊戲具」/昭和一二年、パチンコの盤面にもセル板が張られた/昭和一一年実用新案出願、児玉満造「球戲具」/「スマートボール」の定義/スマートボールの得点と玉数

第10章 昭和一〇年過ぎ、日本製現存最古の「ピンボールマシン」
「タテ物」が禁止され、「ヨコ物」が禁止されなかった理由/昭和一〇年過ぎ製造の、日本製現存最古のピンボールマシン

第11章 昭和一〇年頃、「メタル式パチンコ」大陸進出
才田商会と富貴屋・吉村商会の新聞広告/才田商会「メタル式パチンコ娯楽場」/「才田式パチンコ」の中国大陸進出/樺太(サハリン)の「一せんパチンコ 銀座娯樂場」/才田式流線型の「銀座娯樂場」/才田商会のメタル式パチンコ「竹・菊・すすき」/隠釘/電気マーブル/寺内商店のメタル式パチンコ「義経」

第12章 現存最古の「スマートボール」
スマートボールの最終完成者、三葉の伊藤嘉啓/昭和一一年頃の西村式と泉式のスマートボール/昭和八年から続く「コリントゲーム」/昭和一一年頃の「帝國發明品商會製スマートボール」/スマートボールも日本人の発明品

第13章 パチンコ、第二の誕生
全玉式/京極遊戯場、藤井正一の日本初の全玉式パチンコ台/日本初の「遊戲器製造業組合」/京極藤井の、日本初の全玉式「スチールボール野球パチンコ」/玉の値段表/中川清の全玉式と才田商会の全玉式/全玉式パチンコ「狂言ぶす」/梯正雄の全玉式パチンコ/「狂言ぶす」、パチンコ誕生博物館の秘蔵品

第14章 七・七禁令と企業整備令で、パチンコ地下に埋もれる
皇紀二六〇〇年の七・七禁令と、オリンピックのパチンコ台/昭和一七年の企業整備令

第15章 パチンコ再開、ねつ造正村ケージの始まり
梯正雄と、名古屋御三家のパチンコ再開/正村竹一、パチンコを再開/梯の全玉式パチンコ台と、正村の再開時のパチンコ台/「金鵄パチンコ」と「大アジア主義」/昭和二三年の「宝くじ」に、昭和二八年の正村商会のネームプレートが貼られた/「宝くじ」と「時計パチンコ」/昭和二三年頃の「二十ノ扉」/昭和二四年一〇月封切、黒澤明『野良犬』/昭和二五年の、長崎一男の初期オール物「赤い靴」/パチンコ業界刊行物における「ねつ造六風車七穴正村ゲージオール15」の変遷

第16章 武内国栄と長崎一男の確執
昭和二六年九月、「愛知縣遊技機製造工業組合」結成、同年一〇月、「東京都遊技機製造工業組合」結成/長崎一男の最期

第17章 「正村ゲージ」は正村竹一の考案ではない
正村竹一と在日コリアン/正村ゲージ、映画『ホープさん』に初登場、だが正村商会製ではない/昭和二七年一月一〇日発行『パチンコ必勝讀本』表紙カバー/民団のオピニオンリーダー、モナミの許弼?/「元祖正村ゲージオール15センター金魚」謎の釘痕/パクリ正村見参/「センター金魚」謎の釘痕は、「天風車」を外したという正村竹一の挑発のサインだった/昭和二七年八月封切『殺人容疑者』の、「モナミの正村ゲージ」/正村商会製の、正村ゲージではない「オール10金鵄」/昭和二八年の正村商会製と昭和二七年の竹屋製「正村ゲージ台」/昭和二七年一月四日『朝日新聞』の「M商会」記事

第18章 吉行淳之介、第一回パチンコ文化賞受賞
西陣が開発したヤクモノ第一号「ジンミット」/平和が開発したヤクモノ第二号「コミック」/吉行淳之介、「チューリップ」、パウル・クレー

第19章 パチンコホールのオートメーション化
豊国遊機開発の二式、あっぱれ菊山徳治/昭和三三年、竹屋の伝説の「蛸の足」/昭和三五年、西陣の無人機第一号/昭和三六年、西陣の伝説の「宇宙パイプ」/昭和三九年、西陣の「月光ライン」/正村竹一を日工組理事長におき、パチンコ業界の悲願、連発皿復活へ

終 章 手打ち式パチンコの終焉
昭和四四年、百発皿による連発式ついに復活/昭和四七年、電動ダイヤル式ハンドル認可/昭和五五年、フィーバー機登場/手打ち式パチンコと正村ゲージの終焉

補 章 ミン・ジン・リー『PACHINKO』の時代
在日コリアンと猪飼野/昭和四八年の小説『口のない群れ』/昭和六三年のプリペイドカード発行と、平成四年のCR機登場

あとがき
パチンコ年表
人名索引

クレーンゲームとヘチマクリームの新聞広告

 日本初のパチンコ機製造のオーエヌ商会は、昭和2、3年頃(昭和元年は年末の1週間しかなかった)の創業である。だがパチンコ業界は伝聞により、オーエヌをオーエムと間違って呼んでいた。
 2008年刊行の『パチンコ誕生』で私は、電話帳から「大阪市浪速区霞町1丁目1番地」の通天閣の麓にオーエヌ商会があったことを記した。オーエヌ商会は1940(昭和15)年には、麻雀屋となっている。おそらくこれは昭和15年7月7日に出された「七・七禁令」によるものと考えられる。
 これまで、オーエヌ商会の記録は私が発見した電話帳の記載以外なかったのであるが、今回、新しい発見を『パチンコ』に載せることができた。左写真の私が指さす広告がそれである。これは拡大図で、赤矢印下がその元である。(『大阪朝日新聞』昭和7年7月10日)
 この広告の裏側には、「ヘチマコロン」と「ヘチマクリーム」の全面広告が載っている。ヘチマクリームは新発売でチューブ入りであった。ヘチマコロンの最初の発売は、1915(大正4)年で、ヘチマと同じ緑色のガラス瓶に入っていた。ラベルは文字等にアール・ヌーヴォーの影響が見られる。化粧水なのであるが、白粉の溶かし水としても使われた。竹久夢二の宣伝広告はあまりにも有名である。ヘチマコロンは女性だけの使用ではなく、片岡千恵蔵を起用し、ひげそり後の肌の手入れにも使われ、非常にユニセックスな製品であったのである。ヘチマクリームにも男女のイラストが載っている。広告には「クリームのチューブ時代来たる!」とある。全体が構成主義風なデザインである。
 「機械器具」の欄には、「ケーキグレーン」とあり、「専賣特許第九三七二五號 オーエヌグラスパー 會社創立記念と
して壹千台限大特價提供」とある。「グラスパー」とは操作用のつまみのことである。オーエヌ商会は、昭和7年3月に大
阪でパチンコが全国初の禁止となったので、クレーンゲームの販売に路線を変えたと考えられる。

 日本初のクレーンゲームの特許は、昭和6年3月に大對芳太カにより出願され、同年7月に公告されている。

 クレーンゲームはすでに1920年代にアメリカで完成している。1930年代には世界中で流行した。
 クレーンゲームの日本の特許第1号の名称は「自働販賣機」である。1回のコイン投入で、クレーンを1回使える。みごと景品を外に排出すれば、大成功。
 北尾鐐之助は、昭和7年刊行の『近代大阪』(創元社)で、香具師による「四、五台のケーキ・クレーンの車屋台が並び、大勢の子供たちや」と記している。
 広告に「ケーキグレーン」とあるのは、中に置かれた菓子を当時、「ケーキ」と呼んでいたためである。「グレーン」は「クレーン」のなまりである。
 ケーキクレーンは、店舗にも、香具師の露店営業にも使われていた。
 「オーエヌ娯樂機株式會社」の住所は、「大阪市港区三軒家西1丁目」である。ここは現在、「大阪市大正区三軒家西1丁目」で、近くに「三軒家西福祉会館」がある。
 オーエヌ娯樂機株式會社はパチンコが大阪で禁止になったので、クレーンゲームの「専賣特許第九三七二五號」をうたい文句にクレーンゲームの売り出しにかかったようである。それもそのはずで、この時代、実用新案ならともかく、ゲーム機が特許としてとられるのは珍しかった。事実、この後、様々なクレーンゲームの実用新案が続々ととられている。
 宣伝の中央のホウトク商會の広告にもこの特許番号「第九三七二五號」が記され、「機械ハ完全 最新型 安心シテ使ヘル機械 日本一大量設備」とある。
 





〈ご挨拶〉



 私が創元社より、パチンコのルーツを解き明かした『パチンコ誕生 シネマの世紀の大衆娯楽』を出版したのは、2008(平成20)年8月のことである。資料的な価値があるということで、全国の図書館にご購入いただき、読者から本に載っている現存最古のパチンコ台他を見せてほしいという声が相次いだ。自宅では対応できないので、翌2009年2月、東京銀座の新井画廊で、本に載せた私の版画とともにパチンコ機やコリントゲームを展示したところ大変な反響で、私はNHKテレビ他に出演した。パチンコ業界のお歴々にもご覧いただいたが、業界はパチンコの歴史に関心が薄く、本は当てにしていた業界人には買ってもらえず、ほどなく絶版となった。 


 パチンコ業界は、金儲けには熱心だが、パチンコの文化史には全く関心がないようで、業界が報じているパチンコの歴史は私が本を出す前とあまり変わらず、現在に至っている。手打ち式パチンコは大正末に始まり、約50年間存在した。


 展覧会後、私はパチンコ業界や公共の博物館等々にパチンコの寄贈を申し出たのであるが、パチンコはギャンブル依存症等で非常に評判が悪く、全て断わられた。


 だが、本を出してから12年目であるにもかかわらず、一部の読者からは、いまだに私のもつパチンコ台が見たいという連絡がある。私も歳をとった。そこで私の、手打ち式パチンコの50年間を網羅したパチンココレクションを引き継いでくれる人を探すため、自宅をリフォームし、日曜の午前11時から午後5時まで開館の、「パチンコ誕生博物館」を始めることにした。


 ご覧いただく方に入場料500円分、私がご納得いただけるまで解説いたします。


 パチンコ誕生博物館にようこそ!                         


       2020(令和2)年5月吉日         杉山一夫